嵯峨大念佛狂言

嵯峨大念佛狂言について

嵯峨大念佛狂言

嵯峨大念佛狂言は、京都市街の北西に位置する清凉寺境内の狂言堂で年に数回開催されます。 私たちがよく知る能楽の狂言と嵯峨の「大念佛狂言」とはだいぶ様子が違います。

その特徴は
1.狂言師というプロが行うのではなく、演者も囃子も裏方もすべて民間人の手で行われていること
2.すべての役者が面をつける「仮面劇」であること
3.セリフのない「無言劇」であること
4.「融通念仏」と「大念佛会」に連なる宗教的な背景を持っていること

などがあげられます。

大念佛と狂言

平安後期に良忍上人が始めたのが「融通念仏」です。「一人の念仏が他人の念仏と通じ合い(融通)、より大きな功徳を生み出す。」というこの信仰に従い集団で念仏を称える「大念佛会」が生まれました。
この良忍の事蹟と後の融通念仏の様子を描いたのが、《融通念仏縁起絵巻》です。原本は正和三年(1314)の制作と考えられており、数多くの転写が行われました。清凉寺にもこの絵巻が伝わっています。  
この絵巻の下巻第十段には清凉寺で行われた大念佛の様子が描かれています。この場面に先立つ詞書には、清凉寺の大念佛会が円覚上人導御(1223-1311)によって弘安二年(1279)に開始され、「洛中辺土の道俗男女雲のごとくにのぞみ、星のごとくにつらなりて群集」したと書かれています。  
画面の中には「猿曳き」と見物人の姿が、小道具の駒や面とともに見えたり、釈迦堂の縁で壇に登って袖をまくりあげ、おそらくは鉦をたたきながら舞い踊り、口を大きく開けて念仏を称えている二人の僧の姿を見ることもできます。 ここには宗教と芸能の密接な関係が示されていると言えるでしょう。

地蔵院-円覚上人-『百萬』-嵯峨大念佛狂言

嵯峨大念佛狂言の装束には、「地蔵院蔵物」「地蔵院什□」と墨書されたものがあります。大覚寺に伝わる「清凉寺古地図」を見ると、上部中央に「地蔵院」と書かれているのがわかります。この地蔵院は清凉寺の大念佛会を創始した円覚上人導御の開山で、明治期までは実際に残っていました。現在は残念ながら墓地しかありません。 円覚上人開山の由来については『嵯峨清凉寺地蔵院縁起』[大覚寺文書]から知ることができます。
母と生き別れになっていた法金剛院の円覚上人は、釈迦堂に移り夜はひとりで峰に登って修行し、昼は諸人に念仏を勧めていた。ある夜、山を登っていると清瀧川のほとりでひとりの僧に出会い、母の居所を教えられる。と、その僧は地蔵菩薩の姿を現じ、飛び去っていった。そのことばに従ってめでたく母と再会した円覚が、釈迦堂の奥に院を結んで地蔵院とした。

この円覚上人の物語は観阿弥原作の猿楽能『嵯峨物狂』を生み、さらに世阿弥がそれを能の『百万』に仕立てました。その大筋は以下のとおりです。
ある男が少年を拾い、清凉寺の大念佛会にやってきた。そこに、我が子と生き別れ狂ってしまった女「百万」があらわれ、念仏の音頭をとる坊主を下手だといって、自分が音頭をとり曲舞を舞う。少年はこの百万が母だと気づき、連れの男を通して、その生い立ちを尋ねる。百万は話をし、清凉寺の釈迦に祈りをこめて舞う。男はついに少年を百万と引き合わせ、百万は釈迦の功徳に感謝する。
このように『百万』と円覚上人のエピソードは密接な関係を持っています。再会の場を清凉寺に持ってきて、そこに女曲舞を登場させたのが観阿弥・世阿弥の工夫といえでしょう。観阿弥の制作のきっかけを釈迦信仰をひろめようとする清凉寺からの依頼とまで推測している人もいます。  
円覚上人の没年が1311年、観阿弥の生年が1333年と大変に近いこともあわせ考えると、大念佛会がその開始の頃からなんらかの芸能を伴っていて、寺側もそれを了承・認知していただけでなく、猿楽にも取り入れられるほどに人々によく知られた存在であったと推測できるでしょう。
保存会に残る古面には天文十八年(1549)の銘を持つものがあり、これが記録としての最も古い「嵯峨大念佛狂言」の上演を推測させるものですが、実際にはもっと早く14世紀の後半には清凉寺で能や狂言が演じられていたとしてもなんの不思議もないでしょう。さらには、大念佛会と芸能の関係を考えると、『嵯峨物狂』や『百万』が成立した際に清凉寺を舞台としてそれらが上演された可能性もないとはいえません。

関連年表

弘安2(1279)年3月6日  嵯峨大念佛会始行 清凉寺蔵 「融通念仏縁起」 
享禄2(1529)年 精霊面「伯蔵主」享録二年銘 清凉寺蔵
天文年間(1532~1555) 女面「深井」(天文十八年刻年銘)清凉寺蔵
昭和11(1936)年3月15日 番組帳が製作される(現存)
昭和38(1963)年3月15日 これより一時中断
昭和50(1975)年10月 復活に向けて地元の長老を中心に「嵯峨大念佛狂言保存会」を結成
昭和51(1976)年3月15日 清凉寺松明式にて復活公演
昭和51(1976)年10月10日 復活後、初出張公演近畿、東海、北陸民芸大会「土蜘蛛」三重県
昭和51(1976)年12月25日 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財として選択される(国選択)
昭和56(1981)年1月30・31日 第30回全国民俗芸能大会出演 東京日本青年館「愛宕詣」「餓鬼角力」
昭和56(1981)年5月3日 大阪大念佛寺 「餓鬼角力」
昭和57(1982)年4月4日 釈迦如来信仰と清凉寺 「釈迦如来」京都国立博物館
昭和58(1983)年6月1日 京都市の指定民俗文化財に登録される
昭和59(1984)年3月9日 第44回民俗芸能公演
昭和61(1986)年1月23日 京都の大念佛狂言 東京国立劇場小劇場「釈迦如来」「羅生門」
国の重要無形民俗文化財指定 253号
平成16(2004)年11月30日 関西元気文化圏共催事業 平成16年度(第59回)文化庁芸術祭主催
上方芸能特選会出演 大阪国立文楽劇場  「愛宕詣」「百万」
平成29(2017)年9月21日 初の海外公演 東アジア文化交流事業(日本・中国・韓国)
「土蜘蛛」公演 於 韓国大邱広域市国立オペラハウス
平成31(2019)年3月28日 東京国立能楽堂企画公演
「能を再発見する 寺社と能 清凉寺」  演目「釈迦如来」

清凉寺へのアクセス

清凉寺へのアクセスマップ

狂言堂は清凉寺境内の西北にあります

■京都市営バス
28系統・91系統嵯峨釈迦堂前下車西へ徒歩2分
11系統・93系統嵯峨小学校前下車西北へ徒歩3分
■京都バス
61・62・71・72系統嵯峨釈迦堂前下車西西へ徒歩2分
83系統嵯峨小学校前下車西北へ徒歩3分
■JR
嵯峨野線(山陰本線)嵯峨嵐山駅下車西北西へ徒歩15分
■京福電鉄
嵐山線嵐山駅下車西北へ徒歩15分